■モヤモヤの原因

ちょっとだけセンシティブなお話を。


3.11以来ずっと続く原発推進派と反対派の議論。議論でおわりゃいいのに、最近は批判合戦、誹謗中傷へとエスカレート。論調もヒステリー気味なのが多い。最近は「鷲巣さんはどう思う?」と意見を聞かれるようにまでなった。ここでその質問者の意見と違う答えを言おうものなら攻撃的な反論にあう。これだな、最近の原発議論に対してとても違和感を感じるのは。推進派にしても反対派にしても。


正直自分の意見は、原発推進でもなく反対でもなく「わからない」というもの。リーダー失格・・・と言われるかもしれないけど、自分個人、家族、50名のウチのスタッフのことを考えて、近くに原発のあるところに住むつもりがあるか(特にこの事故以降で)?と言われればYesとは簡単に言えない。放射能汚染は大したことない、と言われても、自分の子供にそれを積極的に買い与えるかと言われると答えはNoだ。価格が驚くほど安い、とか、味がこれまで食べたことないくらいおいしい、というならまだしも、被害地のために出来ることをやりたいと思うし、ボランティアベースで意識的にそういうところの商品を買う心づもりはあっても、今後ずーっと継続的にそれを積極的に求めるか、と言われれば、ごめん、正直その自信はない。そこまで自分にとっては「素直に」そういう行動はとらない、と思う。


国家が自分にとって身近なリーダーが国益を考えて、比較的安全でクリーンで経済的な原発を推進する、最近の論調にある放射能リスクへの過剰反応を危惧する、というのはわかる。だって、その人にとってそれを考えるのは「自然なこと」だからね。でも、残念ながら今の自分は国家というものが自分にとって身近なコミュニティではない。おまけに、それを強要されても、そもそもそこに偽善を感じて気持ちが悪い。


結局今自分ができることは、自分の気持ちに正直になって行動しながらも倫理観を持って行動すること。それを通じて復興を支援していくこと。そして原発推進になろうと、原発撤廃になろうと、自分や家族やウチのスタッフといった身近なコミュニティがしっかりと意思を持って立派に過ごしていけるような力をつけていくことしかない。


コントロールできることしかコントロールできないのだよ。結局。
コントロールできないことを何とかしようとするからパニックになるわけで。