■本物に触れる

仕事がてんこ盛りなのはわかっているのだが、「心の洗濯」と称して、金曜日の午後からお休みをもらい西宮北口へ向かう。1月の初旬に今年の目標として「月二回は芸術に触れる」と宣言したが、今回は2月になって初回の芸術鑑賞。お目当ては駅前にある兵庫芸術文化センターで行われるウラティーミル・フェドセーエフが指揮する兵庫芸術文化センター管弦楽団定期演奏会だ。今回の演目はマエストロが得意とするチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」(とモーツァルト交響曲第40番)。クラシックに限らず音楽は何でも好きなんだけれども、実はコンサートホールでオーケストラを聴くということ自体がはじめてだったりする。金曜日の昼間(15:00開演)からということもあるのか、高齢の人たちが多かった。自分と同じ年くらいの人はあまり見かけない(仕事しているんだろうね、普通にこの時間なら・・・)。


開演のブザーが鳴り、メンバーが次々と入場してくる。続いてゲストコンサートマスターが入場。少し間をおいていっそうの拍手の中マエストロが登場。会場が一気に沸き、指揮台にマエストロがたったら一気に静寂に包まれる。


モーツァルト交響曲第40番。静かにアンサンブルがスタート・・・そのとたん鳥肌が立った。


クラシックに造詣が深いわけではないので、そのオーケストラの力量というものは正直評価できない。ただ、初めてのコンサート、「音」ってこんなに心を揺さぶるものだったっけ?というのが率直な感想。弦楽器のアンサンブル、ティンパニーの響き、管楽器の力強い表現、そして静寂・・・厚みというか、ふくらみというか、音というものが持つ表現力というものに参った!というのがコンサートデビューの感想だ。


いかに普段「本物の音」を聞いていなかったか、ということを思い知らされた。本来の音というのは深みがあって厚みがあり、静寂も含めて「音」なのだ。これは特に音楽のことだけでないはず。料理でも、絵画でも、芸術でも、人間でもそうだ。やはり本物を見て、触れて、そこで得られるインスピレーションは多いはず。


「人間年をとれば経験が豊富になるからちょっとやそっとの刺激では感動しない」とはヘンケルジャパンの足立さんのコメント。よりいいもの、本物に触れる機会を増やさないと、いい年のとり方は取れないな・・・と感じた金曜日でした。