良い失敗、悪い失敗

昨日の投稿に多くのメッセージやコメントをいただき、本当にありがとうございました。
僕はいたって元気でございます。ご心配をおかけしたようで、スミマセンでした。


新しいことややったことのないことに挑戦してきたので、失敗するリスクはある程度あったし、その覚悟もしてました。まあ、破産したわけでもないし、借金は残っているけど返済のめどもついてますからね、「あいたたたた・・・」というだけで再スタートできる状態にはあります。


そういう意味で言うと、悪くない失敗だったのかな、とも思ったりします。でも、そもそもいい失敗、悪い失敗って何だ?というのをふと考えたり、意見を聞いたりしていたので、ちょっとつれづれと書きたいなと思います。

戻ってこれること

良い失敗・・・というか、悪い失敗は「戻ってこれない」。死んじゃう。これ最悪ですね。これで人生終わってしまいますから。死なずとも復帰できないような痛手を被るというのもあまり望ましい失敗ではないのではないでしょうか。できるだけもとのところに戻って再出発できるような失敗にとどめておく、というのが重要なのではないかな、と思っています。野球のリードみたいなものですかね。牽制球投げられたらベースに戻れるような状態。もちろん、人の力量によってリードが大きく取れる人、小さくしか取れない人がいるわけですが、冒険するならできるだけ大きいリードが取れるような力量を培っておきたいものです。でも(しつこいですが)しっかりと戻れる状態であることが望ましい。

学びが大きいということ

失敗は多かれ少なかれ学ぶことがあります。ただ、ここでも「質」が問われると思うんですよね。努力が足りなかった、なんてのは学びのうちに入りません。そもそも最初からわかっている事ですからね。選択肢を間違えた、なんてのもそれほど質のいい学びではないかもしれませんね。将来的に同じような事に直面することが少ないわけですし、似たようなことに直面したとしてもうまく対処できるかどうかは分からないわけですから。
質のいい学びというのは、今後の将来に下す判断に決定的な影響を及ぼす事、なのだと思ってます。具体的に言えば、自分にはその領域において能力がないことが分かった、素質がないことが分かった、という発見。これは決定的に重要な学び。今後その領域には手を出してはいけない、ということが分かったわけですからね。

得た信頼が大きいということ

失敗は多くの人を巻き込むので、多少なりとも信頼は失墜します。その迷惑をかけた人に対して誠心誠意向き合うということ、これは必ずするべきことだと思いますが、マイナスだけではなく、同時に培った信頼というプラス面にもしっかりと目を向けたいと思うのです。確かに嫌われたり、信用をなくし今後お付き合いがなくなってしまう人も多いかもしれない。でも、一方そういう結論に至る過程においてどれだけ多くの人の信頼を創ってきたか、ということも振り返るべきだと思うんですね。それがゼロに近いとするのであれば、その失敗は必然だし、再度チャレンジしようと思っても逆風が多いと思うんです。最初から当てにするのはおかしいけれども、挑戦の過程で多くの信頼を積み重ねてきた人には、再チャレンジの救いの手が差し伸べられると思うんですよね。おカネはなくなっても、信頼があれば再挑戦できるのだと心底思います。

癖にしないということ

「失敗したっていいじゃないか」総論僕も賛成です。でも、この気持ちを変にとると、失敗するたびに鈍感になって言って、負け癖が着いてしまう、それが一番の問題だと思うんですよね。結果としていつまでたっても失敗を繰り返すだけの人生になってしまう。やはり失敗した一つのきっかけで一連のことを断ち切って、リセットして新しい気持ちで次は成功するという気構えを持って前を向けるかどうか、そういう自分の気持ちに一つの分切りというか、けじめというか、そういったものがない失敗はおそらく次も失敗になってしまう気がします。


僕の場合は・・・う〜ん、胸を張って「いい失敗」だったと言いきれないところもあります。これだけ書いているのだからね。少なくとも次に失敗しないように自分で思ったことくらいはしっかりと守りたいと思います。

つれづれなるまま、感情に任せて書いているので、もうちょっと時間がたてばいろいろなことが見えてくるのかもしれませんが、とりあえず今はこの辺で。また気づいたら書き足していこうと思っています。