■ソーシャルメディアな2月

facebookを本格的に使い始めて数か月。だんだんと自分の生活がソーシャルメディアなくしては過ごせなくなってきたが、それを実感したのがこの2月であった。


(1)まず情報のとり方が変わった。かつてはテレビやネットでもYahoo!Googleといったポータルからニュースをチェックしていたけれども、最近はtwitterでフォローしているオピニオンリーダーの生の声を集めると大体世の中の流れがわかる。一つ一つの点が集まると面になる、とでもいう感覚。
またfaceboookにおいても自分の好きなニュースサイトを登録しておけば、速報のような形で重要なニュースのヘッドラインが常にタイムラインに流れるようになるので、こちらも重宝している。チュニジア、エジプト、リビアと連鎖している最近の中東情勢などは、Al Jazeera Englishがタイムリーかつ詳細にわたる情報を提供してくれる。日本ではパンダや海老蔵の報道をしているときにもね。
Blogosのような良質な言論プラットフォームがあるというのも、自分自身のニュースへの視点を鍛えてくれる。一つの事象には多数の意見あり。それをフェアに見ることができるのも、こうしたソーシャルメディア時代の恩恵だろうな。


(2)それから多くの人とつながりあえた。神戸という田舎にいるということ、本来の性格が出不精であるということから、なかなか友人と会ったりする機会が少なかったのだが、ソーシャルメディアを使うことで簡単に呼びかけ、会話をし、気軽に「会おうか?」なんて形になったりする。その時にはすでに彼ら・彼女らが今どんなことをしているか、facebookでオープンにされていることはわかったりする。
2月だけでも10回は会社の外に出て、友人や高校の時の仲間、かつての同僚とランチをしたり食事に行ったりしている。これが忘年会シーズンの昨年12月でも3回、その前の月の11月に至ってはゼロ(それもどうかと思うけれども・・・)ということを考えるとものすごい進化だ。
最近は母親もtwitterを始めた。頻繁に電話をしたり、手紙を書いたり、ということをしなかったけれども、生活の一部に組み込まれたtwitterであれば、日常会話のように連絡できる。なかなかできなかった親孝行をテクノロジーに後押ししてもらっている気がしている。


ソーシャルメディアがもたらしたもの。それは世界中で起こっている事象や事実ものすごくショートカットしていることだと思う。普段会っている友人に加え、たまにしか会わない人、何年も会っていない人、まだ見ぬ人・・・自分が興味のあるあらゆる人との距離が格段に近くなった。そしてその人が見聞きしたことや体験したことを、ものすごく自分のこととしてとらえることができるようになったのが、ソーシャルメディアの威力なんだろうな。